久世光彦とサヨク

 昔使っていたMDを整理していたら、「ラジオ深夜便」から録音した朗読が出てきた。久世光彦の「マイ・ラスト・ソング」。久世光彦は好きな人が多いようだけど、私は感傷的すぎてあまり好みじゃない。朗読を聞いていたら、「カチューシャ」にまつわる話として、学生時代に演劇をやっていた話が出てきた。すぐものごとを女という比喩で語ろうとするのもあんまり好みじゃないところなんだけど(ここではチェーホフを「いい女」に例えてる。「すぐに別れなければいけない女だからこそ燃え上がる」とか。げろげろ)、それはいいとして、中にこんな話が出てきた。
≪誰もが多かれ少なかれ左翼的な心情を持っていたあの頃には、それがいずれ崩れ去っていく予感に包まれた感傷みたいなものがあった。私達の仲間に限らず、あの頃、昭和20年代から30年代の中頃にかけて学生だった連中はみんなそうだった。それは、私が五木寛之の「青春の門」や柴田翔の「されどわれらが日々」を読んで今でも胸が痛くなる、あの感傷だ。例えば、これらの小説のBGMに、私はどうしてもある歌声を聞いてしまう。≫
 そのBGMが「カチューシャ」というわけだけど、なんかよく似た話を最近聞いたなあ、と思った。
 この間、平井玄さんがお話をするイベントに行ったのだ。平井さんは高校全共闘の世代で、坂本龍一と同じ高校で運動をしていたとのこと。この方が、最近「マイ・バック・ページ」という川本三郎原作の映画を見に行ったが、見ていてとても胸が痛かった、とおっっしゃっていたのだ。映画館には自分と同じくらいの年代の女性で泣いている人がいたのだが、その気持ちはとてもよくわかった、のだそうだ。
 全共闘の夢破れ去った話だろうから、こちらの方がより、感傷より痛みのほうが勝るのかもしれないが、日本のサヨクの(男の)姿は連綿と似通っているのかもしれない。ロマンチスト、感傷、カッコつけ、BGMがついたり、音楽とからめたがるのも同じ。ロシア民謡ボブ・ディランじゃえらい違いだけど。いや、あんまり変わらないのかな?
 ところで、映画「マイ・バック・ページ」では、川本三郎役は妻夫木聡だそうで、え〜〜〜〜。川本三郎って村上春樹とソックリだと思うんだけど。そういや村上春樹も連綿サヨクの男の姿に連なる。げろげろなところも...。
 wikipedia久世光彦の項を見ていて、晩年に「センセイの鞄」の演出をしていたのを知った。文系インテリ老人男性に夢を与えたおとぎ話のこの小説、好きだったのかなあ。センセイに自分を重ね合わせたりしたのかなあ...。