BLシンポジウム「JUNE小説を書く女性たち 〜「中島梓の小説道場」の時代」に行ってきた。

 連日のイベントで楽しい週末でした。
 野村史子(中野冬美)さんのインタビューがあり、家族のことややおい小説を書いた動機、リブ活動に入った動機など話されていた。野村さんにはお姉さんがいて、「姉ちゃん大好きだった」とのことで、お姉さんが行けなくなったリブの集会か何かに、お姉さんの代わりに行ったのがリブ活動に入るきっかけだったそう。
 中野冬美さんのことは直接少し知っているのだけど(やおいではなくもともとはフェミ方面で)この話を聞いて少し腑に落ちた思いがした。彼女は常に女性に全幅の信頼を置いており、女性への愛と信頼はゆるぎないものがあると私はつねづね思っていた。私はといえば、むしろ女嫌い。世代や運動の影響が大きいのだろうと思っていたけど、もともとの家族の影響もあるのかもしれないなとインタビューを聞いていて思った。
 フェミ方面から言わせればきっと、女が自分の性を嫌うことやそう仕向けられることへの気づきを、みたいな話になるのかもしれないが、私の場合、もしかしたらもっと単純な話なのかもしれない。要するに自分の姉(姉と呼ぶ気はすでにないが)が女の嫌らしさ指数100%であった。姉らしく妹を守ってくれることなどなく、むしろ自分が妹より男をひきつけることを喜び、「美人は得に決まってるやんか」などと臆面もなく言うような、人間としてちょっとアレな人であった。そして小学校で陰湿ないじめをするのはほとんどが女の子であったことも大きいかもしれない(見て見ぬふりをする男の子がいいとは言わないが、女の子の陰湿さはすさまじいものだった)。
 根っこの部分で合わないのも仕方ない気がする。まあ、合わなくても認めていたらいい話なのですが。フェミの人は「女嫌い」を認めないだろうけど。

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 あとの飲み会でSさんとMさんと話をしていて、最近の若い人はマンガもあまり読まない、買わない、持たない、という話になった。お二人はどちらもマンガの専門家で大学でも教えておられる。お家には膨大なコレクションがあるはず(と思う)。お二人によると、今の学生は皆、モノを持たないようになっているとのこと。私など最近、大量の荷物を抱えて生きるのがばからしくなり、発想を変えなければいけないと思っているのですが、若い人は最初からそういう感覚を持っているということですか?と聞いたら、モノを持つのは金持ちだけだと思っているのだとのこと。基本的にデジタルデータ。モノを持つのは金持ち、なんだとか。
 逆に年寄り連中はモノを手放したがるので、文学の全集とかやたらめったら安くなってるんだとか。
 一昔前はまんだらけヤフオクでけっこうな高値で売られていたものが、今ヤフオクで見たら普通の古本の値段。その頃2500円とかで見たものが今は100円だったり。断捨離(この言葉は嫌い)ブームのせいかねえ。