山田昌弘『少子社会日本』 身も蓋もなし

 身も蓋もないことを言うので、なんやかんや言って面白い部分もあります。少子化の話より、後半の第7章(恋愛結婚の消長)が面白かった。
 「男性の魅力は、経済力に関係した要素によって一元化される傾向がある。スポーツができたり、リーダーシップがあったり、能力に秀でたりするものが、女性に対する魅力となる。(略)女性は、経済力が強い男性を「好きになってしまう」傾向が強い。決して損得勘定で選んでいるのではない。スポーツならエース、集団があればそのリーダーを「好き」になるように社会化されていく。(略)女性は、自分が好きで、かつ、結婚相手としてふさわしい相手に出会って、「好かれる」かどうかが、恋愛、そして、結婚にこぎ着ける要因となる。女性の魅力は、男性ほど一元化されていない。(略)それゆえ、男性、それも、自分が魅力を感じるほどの男性に好かれるかどうかは、偶然の要素がからんでくる。そして、未婚の男性で女性から見て好きになるほどの「経済力があり性格もよい男」の数は、ますます減っている。少数になった男性に出会い、好かれるために、「運」に頼ろうとする女性がますます増えるのだ」
 それから男子大学生の性体験の話になって、何人もとヤれる人とまったくヤれない人との二極化が広がってるという話に。大学4年で未体験3割、3人以上が4割。「もてない人はますますもてず、もてる人はますますもてて何人もの女性とつき合うという二極化が起きている。魅力ある人は、より魅力ある相手を広い範囲からみつけ、イヤになっても次の相手がみつかる可能性が高い。しかし、魅力のないものは、その陰に隠れて、なかなか相手がみつからない。(略)そのうちに、男女交際自体を諦めるものが増える。その結果、「男女交際に関心がない」男子生徒、学生が、ここ六年の間に増えている(後略)」
 結果的には小倉千加子の『結婚の条件』と似た話になってたけど、こういう身も蓋もない言い方は、やっぱり少しは悪意みたいなものがないと書けないと思うので、そういうところは小気味よいし、やっぱり貴重だと思う。でなきゃ無難な言い方しかしないもんね。結婚を促進するために「出会いの場をつくるサービス」を行っても、「その中で魅力的な人同士のみ、経済的にマッチする人同士のみがくっつくわけで、大多数は「比較の対象」として取り残されるのだ」とか。比較の対象って…。
 この間読んだ、女性の「婚活」について語ったインタビューでは、ちょっとした男はすでに目端の利くライバルに取られてしまっている、とかいう言い方をしていて、うまいこと言うなあ(=イヤな言い方するなあ)と思ったのでした。
 女の魅力は一元化されない。私はつねづね、「選んだ女(妻や恋人)を見ればその男がわかる」と思ってきた。女の好みにはその人の人生観が身も蓋もなく表れるからね。逆はそうでもない、というところは、山田昌弘の言う通りだろうと思う。
 この人などの活躍の結果として、世紀の愚策子ども手当が実現したと思うと、良し悪しじゃのう。