『徹底追及「言葉狩り」と差別』週刊文春編・『「差別表現」を考える』日本ペンクラブ編

 前に読んだ『差別用語を見直す』が面白かったので、類書見てみた。どこからも抗議がなかったとしてもそれが「空気」だからと未だにタブー語が増えていくばかりなのは、やっぱり大手マスコミの怠慢が大きいと思うわ。70〜80年代の事例にしたって「やりようはあっただろう」と思うのに、その「やりよう」をはじめてやったのは外国人のウォルフレン氏だという情けなさ。これだけ外国人に弱いのだから、誰か外国でのこの問題のことを調べて日本と比較してほしいわ。欧米だけでなく、中国や韓国も。英語ではクレイジーとかマッドとか普通に使うわけだし(インセインというのもあるな)、デフ、ナム、ブラインドも、まあフォーマルな場面ではあまり使わないかもしれないけど、それは単にケースバイケースだったり、知的な言葉を使いたい場面では使わないだけであって、禁止(自主規制だろうと実質は禁止と同じ)だから使わないんじゃないでしょう。いろいろなことが絡んでこうなったんだろうけど、誰も責任を取りたくないこと、誰も空気に逆らえないこと、一度空気になると付和雷同、自縄自縛しちゃうこと、そして思想のなさがとりわけ大きいのかも。あまりにも日本的な…。