『十九歳の地図/蛇淫他(中上健次選集11)』

 中上健次の初期ってこんなに青春小説だったんですね。なにせ初出は文藝とかすばる(文藝とかすばるって昔からワカモノの青春噺が好きな雑誌だったんですね)。中上健次といえば「無軌道で荒々しい路地の若い衆」だけど、初期はどっちかといえば繊細で潔癖(性に嫌悪感を持ったりしてる)な少年が主人公。それが作を追うごとにマッチョでやりまくりの男臭い男に脱皮していくという、まあ「男の成長」がよくわかる短編集でした。姉がホステスになって二号さんになってるのを不潔だと嘆く少年(『鳩どもの家』)から、やりまくった挙げ句に博打の金のために女を遊郭に売り飛ばして若い衆と猥談をする男(『水の女』)へ。まあどっちも同じものの裏表ではあるけど、いやー立派な男に成長したんですね、って感じ。
 しかし中上健次村上龍を読むと思うんだけど、作者を思わせる主人公がすごく美青年(美少年)に思えるように書かれてるんだよね…。小説だから当然、ってことはないと思うんだ。美しくなくたって純文学の主人公はつとまる。醜男でデブでも文学は成り立つはずなのに、なぜみんな、女を夢中にさせるいい体を持った美丈夫なのか。何もそこまで美化しなくても…まあいいんだけど。美化なくしてマッチョはあり得ないってことなんだろう。
 姉や母親なんかの描写をみてると、初期から近親相○のモチーフだけは(暗示的にだけど)あったんですね。