栗本薫/中島梓のこと

 子供の頃にこの人についての雑誌記事を見たことがあり、その中でやたら「美人」とか「才色兼備」とか謳われており、写真も載っていたのだけど、「きっと大人の世界ではこういう人が美人なのだろう」と無理矢理納得したのを覚えている。無理矢理納得した割にはこれだけ印象深く覚えているということは、何かおかしいなと思ったのだろう。ずーっとあとから、あれは編集者(orライター)のゴマスリだったのだろうなと思い至るようになった。自分のことを褒め称えるような人間しか周りに置かないというのは、きっと昔から変わらないのだと思う。
 つい数ヶ月前、昔JUNEに連載されていたものをまとめた『小説道場』という本を借りた。投稿小説のほうを読むのが目的だったのだが、その本は(新版だったせいか?)投稿小説は省いた、温帯のお言葉のみ集めたものだった。それでもせっかく借りたので読んだ。読むのが辛い。偉そう、威張り散らす、自意識肥大がひどすぎる。投稿者に対するコメントもちょっとそれは…というものが多く、文章もひどい。ファンの人たちは「劣化」「崩壊」と言うけれど、語りのレベルではもともとこうだったのかもしれない。ただそれが正式に刊行された書物にまで及ぶのはもっとあとになっただけで…(もしかしたらネットに深入りし出した頃からおかしくなったということはないのかな? ネットで書き散らすことによって筆が荒れて、自分を賞賛する人だけが集まるコミュニティの中に安住してしまってものが見えにくくなって…ということは? 関係ないかな? 安部公房はパソコンがダメにしたと言ってた人がいたけど…)。
 『コミュニケーション不全症候群』は読んだ。面白い!鋭い!と思ったのは半分ぐらいまでで、途中から「あれ?」と思うようになる。もしかしたら液状化の時期とだぶるのかもしれない。しかし納得できないのは、BLとかやおいとかいったジャンルを自分が作ったのだと豪語することで、この人がそう豪語するからそうなのだと信じている人が世の中にいっぱいいるであろうことである。このジャンルを作ったのはやっぱり24年組を中心とする少女マンガであって、個別の小説作品としては、この人の作品にはこのジャンルへの影響力はあまりなかったと思う(同じ薫でも高村薫のほうがずっと…ry)。きっと「人として」の影響力は大きかったのだろうけど。マンガではなく小説の形態のやおい本を定着させたのは、この人の功績は大きかったかもしれないが。
 この人についていろいろぐぐっていたら、「太陽風交点事件」というのにひっかかった。2ちゃんの堀晃スレに詳しく、興味深かった。早川書房は日本でSFというジャンルを育ててきたのだと思っていたけど、もしかしたら逆にSFを囲い込んでポピュラーになるのを阻害していた面もあったのかもしれない。