『ネコの毛並み』という本

 ずっと前にどこかの図書館で借りて読んだ。著者は野澤謙という動物遺伝学者の人で、裳華房というところから出ているが、まあブルーバックスみたいな一般向け化学の本だった (1996/03)。猫の毛並みの柄が遺伝的にどうやって発現するかを素人向けに説明していて、三毛猫が雌しかいない伴性遺伝(雄の場合は遺伝子異常。クラインフェルターだったかな?)なのを知ったのはこの本からだったし、「尾曲がり猫」という名称を初めて目にしたのも確かこの本だったと思う。著者は日本全国を歩き回って、足で猫の毛並みについて(尾曲がり猫についても)膨大なデータを集めており、その並々ならぬ情熱はたいへんなもので、研究対象なだけではなく猫への愛情もしみじみ伝わってくるいい本だった。可愛らしい(でも可愛らしすぎない)猫の説明的イラストの表紙とともに、とても印象に残っている。機会があれば本屋で買おうと思っていた。今の猫を飼う前に読んだから、少なくとも10年以上は前のことだ。

 この本のことはずっと気にはなっていた。何かにつけて思い出したし。とにかく、愛すべき本なのである。昨日なぜかたまたま「中古はないのか?」と思い立ってアマゾンで検索してみて驚いた。絶版なのはわかるとして、中古として出品されている値段が1万3千円弱もするのである。なんで?たかが猫の本に…と思って調べてみたら、何とこの人、脚本家の野沢尚の父親だったのだ。
 野沢尚公式ブログより

 野澤謙氏は京大霊長類研究所所長だったこともある人らしく、もう何だか、いろんなことが、ああそうか〜という感じになってしまった。それほど知的レベルの高い家庭にあってこの息子。あんな素敵な本(←『ネコの毛並み』のほうです。野沢尚の本は未読)を書く人なのだから、形にならぬ文学性も受け継いでいるだろう。寺田寅彦も飼っていた三毛猫の毛の配分をネタに論文を書いたというし、猫の毛並みには文学性も宿るのだ(と思う)。ブログの中の

本に囲まれる生活というものを、父の書斎を見て憧れたのは間違いない。/初めて見た映画は、父と一緒に今池国際劇場で見た『沖縄決戦』だった。/最初は映画評論家になりたかった。毎日ただで映画を見られるなんて、夢のような仕事に思えたのだ。すると父が言った。「人が作ったものを批判するより、自分で作ったほうが楽しいぞ」/おかげで僕は、どんなに辛くても「楽しい」と言える仕事をこうして手に入れることができた。

という文章に思わず唸った。人が作ったものを批判するより、自分で作ったほうが楽しいぞ、と言ってくれる父親。結果的にそれがご本人にとって良かったかどうかはわからないが、文化資本ゼロの在日労働者階級の家に育った私はただ唸ってしまうのである。テレビドラマをほとんど見ないので通して見たことはなかったが、野沢尚の脚本には家族や子供をテーマにした暗い作品が多いような気がする(たまたま私が見たものがそうだっただけかもしれないが)。いろんな思いがあったのかもしれない。

 ブログの中では、父は海外出張ばかりしてあまり家にいなかった、とあるが、その出張の中には日本全国の猫を追いかけ回していたのも含まれるんだなあ…。ああ、『ネコの毛並み』あの時買っておけばよかったよ。