『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ

 海外文学に詳しくないので、日本との事情の違いがわからない。日本では小説のジャンルは細かく分けられていて、純文学、エンタメ(中間小説ってのは最近はいわなくなったがこれも変な言葉だった)、SF、ミステリー、ファンタジーライトノベル…。SFやミステリーぐらいは海外でもわりとはっきり分かれてるかとは思うけど、純文学なんてものはあるんだろうか。ましてやライトノベルなんて…。肩書きも変なもので、「作家」と名乗っていいのは主に小説を書いたことのある人だけのようで、何となく物書きの中では格が高いようなイメージがある。「作家」と「ライター」は全く別物だし、またその上にいろんな冠をつけて、ノンフィクションライター、ミステリー作家、フリーライター、とかどんどん細分化する。英語ではこれもそれもみんな「ライター」で一緒なのだと何かで読んだときには、それでいいじゃん!と思ったものだ。

 何が言いたいかというと、この本はもし日本で出ていたら、どのジャンルに入るんだろう?と思ったのです。純文学なのか、SFか、ミステリーか…。ものすごく強引な設定。しかし描写はたいへんに緊密かつ繊細。タネあかし的なものもはっきりしているしオチもある。ちょっとトンデモかといえるぐらいの設定は、日本でなら純文学でもSFでもなく、青年向けマンガでありそうだ。いや、一時期の村上龍あたりならこういう設定もありかも。仕上がりは全く別物になっただろうけど。

「『わたしを話さないで』は、いわばカズオ・イシグロ自身の頭のなかで醸造された奇怪な妄想をとことん膨らませ、持ち前の緻密な書きぶりを駆使して強引かつ精緻に最後まで書き切ったかのような迫力がある」と解説(柴田元幸という人)にあり、まさにその通りだと思う。ひとつの設定を装置として作り、その中で綿密に情景や人間関係を描き込んでいく。著者もこれは「メタファーだ」とはっきり言っているし、誰もが自分自身を重ねられるよう注意深く作ったと語っている。中身はぜんぜんSFじゃないのだ(いや、別にSFでもいいんだけどさ)。

 すごく変わった小説ではあるけれど、一方で、教科書的な、お手本のような小説だとも思った。たくさんの伏線はきれいに引いてあり、あとでバッチリ回収される。そして効果的な小道具がそこここに(表紙デザインにもなっているカセットテープ、船、ロストコーナー等々)。構成はとても緻密に練られているけれど、それでいて文章は読みやすく引きずられるように先を読んでしまう。大学の創作コースなんかではこういうの訓練するのかしら、なんて思ったりする(大学院の創作コース出ているらしい)。もしかしたらそのへんが、ちょっと物足りない人もいるかもしれないと思うのは考えすぎかな。

 日本人はどこかで、理性を手放すことをよしとするところがあると思う。本音と建て前なんて言い方するけど、それは本音がいかに好きかということの裏返しだろう。小説においても感情や何やかやに押し流されたり、溢れ出したり、もんどり打ったりする情景が好まれる気がする。あるいは逆に極端にイメージ先行だったり、ぼんやりしてたりするのをよしとする感性。そういう部分が全くない、全てが統率されて、透徹した理性に貫かれている小説を、もしかしたら物足りないと思う人がいてもおかしくないよなあ、と思うのだ。まあそういう意味でカズオ・イシグロが自分にないものを村上春樹に見て評価したりするのかしら、というのは独り言だけど。

 それと、これは翻訳についてなのだけど、この翻訳者のこだわりなのか、女性の話し言葉に「〜だわ」だの「〜なの」だのといった女性役割語が、たぶん一つもない。つねづね私はこれらの、一般には全く使われていないであろう女言葉が不自然だと思っていたので、これは読みやすかった。ただなぜか、男言葉の「〜だぜ」はあるというのが不思議なところではあるけれど。

 あと、面白いのは、これだけ綿密にいろいろ書き込んでいるのに、主要人物のルックスの描写がほとんどないことで、施設の先生たちや周辺人物の描写はあるけれど、主人公たちはどんな顔をしてどんな背格好をして、美人なのかどうなのか、ということはよくわからない。もちろん表情やなんかの記述はこまかくあるけれど、どれも見た目ではなくて、心の動きを覗かせるような描写になっている。だから読んでいても、主人公たちの顔が目に浮かぶようだ、っていうのはあんまりない。もしかしたら、そのせいでかえって周囲の情景が浮き立って見えるのかもしれない。そして何となくもやがかかったようなミステリアスな雰囲気も。小説には人物描写(単に見た目の)ってなくてはならないものだと思っていたので、ああこれでも小説って成り立つんだ、なんて思った。個人的にはだけど。

 とにかく15年もかかって書いたというだけあって、単純にテクニカルな意味だけでもすごいと思う。もう何というか、練られ方が。

 子供時代へのノスタルジア、友情、恋愛、性など、あまり私の興味のないものが主軸では描かれているし、やはり設定のあり得なさにはひっかかりつつ読み進めたけれど、そういいながらも涙、涙でした。特にラストシーンはしみじみと哀しく、今思い出しても涙が出る。ほんとに、うまい小説。

 しかし表紙のカセットテープ、グッドデザインだとは思うけど、1950年代のテープがこんなオシャレなはずがないよー。