原発関係メモ

 ずっと前のことだけど、何かの宴会の席に環境のことをやっている大学の先生がいて、その人が言うには、日本はアメリカからウランだかプルトニウムだかを毎年ある量買わされることが決められているとのことで、酒の席の雑談ではあるけれど、それを聞いて以来私は何となく、原発といえばアメリカ、というイメージを持つようになった。
 昨日ネット見てたらこんな記事があった。
 原子力で儲けるのは日本企業でなく、ウラン・スーパーマーケット 
 なるほどじゃあ今回の福島の事故で世界の原発開発は及び腰になり、ウランが値下がりしちゃって、日本は親分のアメリカからえらい叱られることになるのかもしれない。
 映像'08 なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所“異端”の研究者たち
 迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である
 ここに書かれているように、これからは日本にいる限り「地震と共存する」という意識が必要なのかもしれない。
 《つまり、従来は自然と対決する文明で、それに対して最新技術でもってバックアップしようという考え方でしたけれども、自然の摂理に逆らわない文明というものを我々は作っていかなければならないと思います。
要するに開発の論理、あるいは効率、集積、利便性の論理、それから東京一極集中、都市集中の論理、そういう物をやはり見直してですね、保全とか小規模、多極分散、安全と落ち着き、地方自立、国土の自然力と農村漁村の回復、といったようなことをキーワードにして、根本的な変革が必要であると、まあその地震災害を考えると、私は強く思います。》
 テレビの報道が大本営発表みたいなんてシャレにならない話で、原発政策自体が戦前戦中の日本にそっくり。おかしいと言う人はいても、大きな流れが変えられない、止められない、と上の原発反対派の学者さんもどっかで言っていた。誰が中心にいるわけでもなく、空気がだーっと破滅に向かって突き進む。日本っておそろしく変わらないんだね。

小谷野敦さんに

 トラックバックされてしまった。どうしよう、何か返答するべきなのかな。でも「こういう人はあちこちにいる」と書かれているし、あちこちにいる誰かが答えてくれるでしょう、きっと。フランス礼讃て、いいか悪いかわからんっていってるのに。原発なくせと言ってほしいのか、日本特殊論にムカつかれているだけなのか、まったく分からないのである。

(追記)前のメールアドレスに来てたので気づきませんでした。。メール返事出しときました。

現実感がないのかな

 私は読んでないけど、広瀬隆の「危ない話」は相当たくさんの人に読まれたはずで、あの本は相当影響力があったはずだ。だけどその後原発反対の世論が強まって国の原発政策が変わったということもないし、市民運動が広がったということもあんまり聞かない。日本はかつてのサヨクがダメダメだったために、市民運動が根付かない土壌なのだ。原発がイヤだと思っている市民は多いはずなのに、政治を変えることができない。子ども手当だって反対の人が多かったのに実施された。民主主義が機能していないのだ。日本は世界一うまくいっている社会主義国だと昔からよく言われているし。
 地震津波も必ずあるとわかっている場所に、何で原発があるのか。くるっているとしか思えない。くるっているというか、現実感がうすいのかなという気がする。もしかして、現実感がうすいのは日本人の国民性なのかも。合理的に考えたら地震国に原発バカバカ作るのおかしいだろうに、誰も止められない。地震国をおいといても、原爆落とされた国なんだから、核にもうちょっと敏感であってもおかしくないのに、まるで考えないようにしてるかのようで、やっぱり現実感がない。みんななんとなーく流されて、まあ国がすることなんだから間違いないのかななんて思ってる。そのくせ保険とか大好きで、こういう時にはすぐインスタントラーメンや懐中電灯を買いに走ったりする。「だってもしもの時心配やん」とかいって。原発が危ないって思っても、テレビで何も言わなくなったら忘れてしまう。他の話題が始まったら容易に興味がそっちに移ってしまう。ひとつのことをずっと考え続けるのが苦手なのだ、きっと。
 今回のことで原発は減るのだろうか。ほとぼりさめたらなんとなーく元通り、ってことにならないだろうか。コワイなあ。
 きのう外国のラジオ聞いてたら(大本営の発表ばっかり聞いてたらヤバイという気がして)フランスと日本の原発の違いは、って話をしていた。フランスは世界一原発が多い国なのだけど、国民は原発に親しみを持っているとのこと。学校から社会見学で原発の見学に行くんだって。確かに、日本では考えられない。ええんか悪いんかようわからんけど。

地引網のごとし

 今回の震災のあとのマーケットはえげつなかった。機関はこうやってこういう機会に個人のお金を根こそぎさらってゆくのか、と。見えざる手なんて今はないんじゃ。一瞬の株価1300円(だっけ?)下げ、一瞬のドル76円でどれだけの個人投資家のお金が巻き上げられたことでしょう。特に為替は、選ばれた時間帯といい、明らかにミセス・ワタナベ殺しだよね。なりふりかまわずの金儲け。ほとんど犯罪的だと思うけど。

真打ち登場

 丸激無料放送で広瀬隆のインタビューが。必見だと個人的には思います。
http://www.videonews.com/interviews/001999/001771.php
 原子力村(原子力に関わる人たちの総体)がなぜあるのかという質問に、薄汚い金のためだとの答え。神保さんはもっと他の答えを引き出したかったようにも見えたけど。
 広瀬隆はパスポートを取りにいったそうですよ、孫のために。都庁は同じようにパスポートを取りに来た人で長蛇の列だったらしい。いいなあ、海外に逃げられるお金持ちは。外人もいいなあ、自分の国に逃げられて。あれ?

エクソダス

 大阪の十三はいつも中国人や韓国人で溢れていたのに、あっという間にいなくなった。その代わりに、めったに見ることのなかった白人を見るようになった。ほとんど見たことのないインド系のような人もいた。中国人や韓国人はさっさと国に帰り、もっと遠くのすぐには帰れない国の人は東から逃げてきたということだろうか。それに、いつになく人が多いような。普段十三には少なめの、普通の若い女の子たちも多かったし(十三、風俗の多い歓楽街です)。電車に乗ったらスーツケース持った人もちらほら。連休でもあることだし、とりあえずつてのある人は東から避難してるのかもしれない。
 避難指示区域からは千人余りの人たちが数十台のバスに乗って町ごと他県に避難したとニュースでやっていた。町民を率いる町長はまるでモーゼのよう。多分、避難指示区域外の人たちも、この先自主的にどんどん出て行くのだろう。やっぱり、旧約聖書的風景だ。
 石原はすげーなあ。よくあんなことが言える。撤回したようだけど。
 NZ地震の報道であまりにも日本人日本人と偏執的に言い続けるので、これはひどい、この国はソドムかゴモラか、とぼんやり考えていたところだった。しかし火が降ってきてもほんとうに悪い奴は無傷で今もよく眠り、何も悪くない庶民が犠牲になるのだろう。
 この国には悪いものがたまっていると思う。まわりを見たって、いい人ってほんとうに少ない。思わずええっ?というような利己主義が普通の人の間でまかり通っている。いい人がいてもだいたいあんまりいい目にあっていないし。普通の人だけじゃなくて、本来、少しは人の上に立つような、高学歴のインテリ層みたいな人の利己主義は(私の知ってるごく狭い範囲の話ではありますが)輪をかけてすごい。よくわからないけれど、昔からこうだったわけじゃないと思うんですよね。やっぱり、バブル以降、日本人の価値観が大きく変わったのではないかな。80年代諸悪根源説。地震と結びつける気は全くないですよ、念のため。
 消防庁の人の涙目の会見、すごい悲壮感だった。部下を放射能の危険にさらしてしまったつらさなんだろうか。自衛隊の動きながらのヘリ放水も、隊員をなるべく危険にさらさないためにああいう形になったわけでしょう。しかしそんな、屈強な男が涙目になるくらい危険なものがこの狭い日本にいっぱいあるなんて、本当に異常だと思う。
 今、「原発」でぐぐったらwikipediaの次に出てくるのがこれですよ。
 原発がどんなものか知ってほしい
 頭の中でずっとボブ・マーレーが歌ってるわ〜。

地震について

 まったく気づかなかったのです。その上たまたまこの日は、テレビはもともと持ってないけれど、ラジオもネットもつけてなくて、メディアに触れてなかった。だから夜に友達からメールがあるまで大地震があったことを知らなかった。翌日からは人の家でべったりテレビを見たけれど、津波の映像にはたまげた。原発の爆発映像にもたまげた。アポカリプス的というか、旧約聖書的な風景。。。
 思えば阪神大震災の時もそうだった。あの時は大阪にいて、地震で目が覚め、こりゃ大きな地震だと思ってテレビをつけたら、NHKでは老人が倒れてきたタンスで足をケガした、みたいなニュースしかやってなかった。あの時期は民放のうるささが嫌でNHKしか見ないことにしていたので、何だ大したことなかったんだなと思って、もう1回寝たのだった。何とあの日は私は須磨水族園に行く予定で、早起きしないといけないから寝なくちゃ、と思ったのだった。朝、一緒に行く予定だった相手から電話があり、「あんた何ゆうてるんや。それどころちゃうで。須磨水族園なんてやってるわけないやんか。高速道路倒れてるねんで! 電話もぜんぜん繋がらんから、今並んで公衆電話からかけてんねんで!」と言われてたまげたのだった。驚いたことに、NHKでは「タンスで老人が」とやっていた時に、民放ではリアルな被害状況をちゃんと伝えていたのだった。要するにNHKは国寄りで、パニックを起こさない方向で情報規制をするのだ、とその時理解し、それ以来私は非常時のNHKの報道をあまり信用しないことに決めたのだった。
 しかし今はNHKどころか、テレビをほとんど見なくなったので、メディア自体にあまり触れなくなった。ネットを見ていてもニュースはあまり見ない。あまり社会と連続感を持てなくなったというのがある。東北の地震もNZの地震も、誰かが傷ついているという意味では距離感はあまり変わらない。そんなの国籍に関係がない。グローバリゼーションの時代だ。こういう時代において自他を区別する線引きは何なのだろうと考えると、言語ぐらいしか思い当たらない。そうかだからみんな日本や日本人を声高に唱えだすのか。線引きを確認し、強調するために。
 昨日の管さんの会見はひどかった。日本人日本人と熱っぽく語りだして涙目。ほんとうに風見鶏的な人だ。いまどき日本にどれだけの外国人がいると思ってるんだ。操業停止しているトヨタの工場でどれだけの外国人が働いていると思ってるんだ。NHKラジオ第2では諸外国語で情報を流し続けていた。ああそういう時代なんだな、と思っていた。ぶちこわしじゃないですか。それもこの期に及んで記者クラブ保守でフリーや外国人は締め出し。こういう時こそ情報は開放するべきなのに。
 そういえば、不思議なのは、大きな震災がたまたま自民党でない政権の時に起こることですね。ほとんどの時期は自民党政権で、次はまた自民党に戻る可能性も高いというのに、たまたま。。。
 日本は地震国だ。関東大震災から阪神の震災までが約70年、それから今回までが15年、もしかしたら10〜20年ごとに大規模な地震があるのが日本の本来の姿かもしれず、戦後の高度成長期は日本が特別神に守られていた時期だったのかもしれない。朝鮮を踏み台にして成長した時代が。