地震について

 まったく気づかなかったのです。その上たまたまこの日は、テレビはもともと持ってないけれど、ラジオもネットもつけてなくて、メディアに触れてなかった。だから夜に友達からメールがあるまで大地震があったことを知らなかった。翌日からは人の家でべったりテレビを見たけれど、津波の映像にはたまげた。原発の爆発映像にもたまげた。アポカリプス的というか、旧約聖書的な風景。。。
 思えば阪神大震災の時もそうだった。あの時は大阪にいて、地震で目が覚め、こりゃ大きな地震だと思ってテレビをつけたら、NHKでは老人が倒れてきたタンスで足をケガした、みたいなニュースしかやってなかった。あの時期は民放のうるささが嫌でNHKしか見ないことにしていたので、何だ大したことなかったんだなと思って、もう1回寝たのだった。何とあの日は私は須磨水族園に行く予定で、早起きしないといけないから寝なくちゃ、と思ったのだった。朝、一緒に行く予定だった相手から電話があり、「あんた何ゆうてるんや。それどころちゃうで。須磨水族園なんてやってるわけないやんか。高速道路倒れてるねんで! 電話もぜんぜん繋がらんから、今並んで公衆電話からかけてんねんで!」と言われてたまげたのだった。驚いたことに、NHKでは「タンスで老人が」とやっていた時に、民放ではリアルな被害状況をちゃんと伝えていたのだった。要するにNHKは国寄りで、パニックを起こさない方向で情報規制をするのだ、とその時理解し、それ以来私は非常時のNHKの報道をあまり信用しないことに決めたのだった。
 しかし今はNHKどころか、テレビをほとんど見なくなったので、メディア自体にあまり触れなくなった。ネットを見ていてもニュースはあまり見ない。あまり社会と連続感を持てなくなったというのがある。東北の地震もNZの地震も、誰かが傷ついているという意味では距離感はあまり変わらない。そんなの国籍に関係がない。グローバリゼーションの時代だ。こういう時代において自他を区別する線引きは何なのだろうと考えると、言語ぐらいしか思い当たらない。そうかだからみんな日本や日本人を声高に唱えだすのか。線引きを確認し、強調するために。
 昨日の管さんの会見はひどかった。日本人日本人と熱っぽく語りだして涙目。ほんとうに風見鶏的な人だ。いまどき日本にどれだけの外国人がいると思ってるんだ。操業停止しているトヨタの工場でどれだけの外国人が働いていると思ってるんだ。NHKラジオ第2では諸外国語で情報を流し続けていた。ああそういう時代なんだな、と思っていた。ぶちこわしじゃないですか。それもこの期に及んで記者クラブ保守でフリーや外国人は締め出し。こういう時こそ情報は開放するべきなのに。
 そういえば、不思議なのは、大きな震災がたまたま自民党でない政権の時に起こることですね。ほとんどの時期は自民党政権で、次はまた自民党に戻る可能性も高いというのに、たまたま。。。
 日本は地震国だ。関東大震災から阪神の震災までが約70年、それから今回までが15年、もしかしたら10〜20年ごとに大規模な地震があるのが日本の本来の姿かもしれず、戦後の高度成長期は日本が特別神に守られていた時期だったのかもしれない。朝鮮を踏み台にして成長した時代が。