狂った人と話す

 貴乃花が「花田勝氏が〜」と呼んでいた理由はよくわかる。私は「かね子」と呼ぶことにしている。金のことで頭がいっぱいだから、かね子。
 かね子と今日も電話で1時間以上、金のことで口論をする。いや、口論する気はこちらはないのだが、かね子は相手の話も聞かずすぐ高飛車に声高に怒り出すので(電話機がビリビリいうくらい)、こちらも主張しようとするとどうしても口論のようになってしまう。以前はハイハイと流してきたが、理不尽な侮辱をしまくるので、しかも金のことだし、そういうわけにもいかなくなった。
 母親の認知症がひどくなり、何度も通帳をなくすので、かね子が「私が預かる」といって持って帰ったのが1年ほど前。それ自体はそれでいいと思っていたのだが、通帳と定期持って行ってからかね子の態度が急変した。もともと支配欲の強い人間だったが、もう手のつけられない有様に。
 今日の電話でも無茶苦茶な侮辱をされまくる。あまりにも言ってることが無茶苦茶なので、これは狂ってるな、と思う。狂ってる人間と話しているのだ、という認識を持たなければいけないな、と。
 兄の一人は家族とは縁を切ると言って出て行った。もう一人の兄も似たようなもの。恵まれた人は恵まれない人のことは本質的に理解できない。自分の常識が人にとっても常識だと思い込む。おかしな家族はいくらもいる。

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(追記7月18日)春日武彦の「問題は、躁なんです」(光文社新書)を見ていて、これだな、と思ったのでメモ。本の内容には納得できない部分もあるけれど、身近にサンプルがあるだけにある程度は納得せざるを得ない。話していて「これは病気だ、狂ってる」「誰かこいつを病院に連れていってくれ、薬でも飲ませて黙らせてくれ」と思った理由はこれだった。誇大妄想が出るほどの重症ではないけれど、軽度の躁は本人にとっては幸せだろうから、このまま行くのか、それともどこかで支障が出てくるのか。私は見届ける気は全くないけれど。
「躁病の人は自慢話が大好きである。自画自賛には目がない。(略)彼らは自己愛のカタマリであり、自己中心的で騒がしい。往々にして誇大妄想的でエネルギッシュで、ついでに軽薄である。(139p)」
 MNRS-Mという病理勤務の看護者用スケールには以下の9項目があるという。(167p)
 1.多弁である。 2.話すときに話題が飛ぶ。 3.過活動である 4.誇大観念を持っている。 5.多幸的で高揚している。 6.威張りちらしたり干渉する。 7.怒りっぽい。 8.注意がそれやすい。 9.脱抑制であったり反社会的である。
 3,4,9は低いけれど、他はあてはまる。特に1,2,5,6,7は強くあてはまる。しかし目下に対してだから特に、ということもあるはずで、権威主義者だから上には違う態度を取るはずだ。素因はあっても普通は社会(他者)との擦り合わせで常識的なレベルに留まるものが、金に困らない専業主婦という立場で助長されたのかもしれない。いやいや会社のお局様でこういう気性の人もいるというし、変わらないのかも。
 いずれにしろ、(軽い)精神疾患認知症の人をこれから相手にしていくのだという認識を持たないといけない。まともに受け止めてたらこっちの身がもたない。同じ著者の「病んだ家族、散乱した室内」「援助者必携 はじめての精神科」も読んでみるべきかな。