サブカルって何

 日本における「サブカル」と「サブカルチャー」とは違うのだけど、どう違うか説明するのはとても難しい。wikipediaで「サブカル」を検索すると即「サブカルチャー」の項に飛んでしまい、説明を読んでも単に「サブカルチャー」の説明でしかなく、違うんだー、カルチュラルスタディーズとかハイカルチャーとの違いとか、そういう問題じゃないんだー、と欲求不満になるのみ。ただ末尾の「関連項目」のところに「新宿ロフトプラスワン」とあるのだけが、あ、それそれ、と思わせるだけ。
 ここの文章を読んで少しなるほどと思ったけど、やっぱりあんまり明確ではないかな。もともとオタクとサブカルの境が明確でないので仕方ないことだと思うけど。しかし「オタクとサブカル」が違うのは当たり前で、「サブカルサブカルチャー」が違うのが奇妙だと思うのよ。サブカルサブカルチャーの略語ではないんだよね。
 とりあえずロフトプラスワンの常連とされる人はサブカル文化人といっていいでしょう。阿曽山大噴火大槻ケンヂ掟ポルシェ唐沢俊一吉田豪リリー・フランキーなどは私が見てもサブカル的と思える人たちかな。ていうか、ロフトプラスワンのあり方がサブカル的なのか。行ったことないけど。
 上記エッセイには〈オタクは漫画、アニメ、ビデオゲームなど(およびその愛好家)であり、サブカルは文学、ポピュラー音楽、映画など(およびその愛好家)である。またオタクはファッションに無頓着で恋愛経験に乏しく、サブカルはファッションに敏感で異性と盛んに交際しているとされているが、これは通俗的なイメージにすぎない〉とあって、サブカルチャーの話なんだからどこまでいっても通俗的に決まってるよと思いつつ、サブカル的な人がおしゃれ又はおしゃれでないにしても自分の見た目や服装に非常なこだわりを持っているのは確かだろうと思う。異性と盛んに交流してるかは微妙。屈折してる人が多そう。どちらかというとある意味去勢されてる風にも思える。たとえエロ本収集家であったにしても(この点は確かに極めてマッチョなオタクとは好対照)。
 私の勝手な印象だけど、サブカルって80年代の特産物なのではないかな。サブカル文化人はだいたい、80年代に業界に紛れ込んだ人や、80年代に多感な青春を送り80年代文化を胸一杯に吸い込んだ人、またはそういう人に影響を受けた人が多そうだ。こんにち「サブカル的」と感じるものに関しても、80年代文化とつながってるという気がする。
 上記エッセイより。〈日本のサブカルにはカウンターカルチャーとしての側面は乏しく、ロックもヌーヴェル・ヴァーグも「西洋の新しい文化」として表面的なスタイルだけが模倣された。ゆえに「サブカルはファッションとして文化を利用している」というオタクからの批判に、正当性がまったくないわけではない〉 カウンターカルチャーというのもまたわかりにくいんですけど、とりあえず既成のものに対する対抗、抵抗的な態度が含まれると考えると、これはかなり核心の部分かなと思える。サブカルの人には怒られそうだけど、要するに思想とか批判とかがない。そこが80年代的に感じる所以だと思う。中身がないというのはまさに「ポップ」と同義なのだから(と私は思ってる)、これこそ真のポップカルチャーなのかも。
 80年代の残滓が消えるとともに、サブカルという言葉は本当にただの「サブカルチャーの略語」に収斂されていくのかもね。