紙魚について

 初めて畳の部屋に住んだ時、時々見かける虫がいた。灰色というか銀色というかの小さな細長い虫で、じっとしてる時はじっとしているが、走り出すと速い。だから見つけるとそーっと近づいて、向こうが気づく前に素早く叩く。素手で叩くと簡単に潰れて銀色と灰色の液体と粉が混ざったような物質がべったりつくために、できるだけティッシュをもって叩く。走ると素早いが、ゴキブリのような強靱さはなくて(大きさも全然違うし、甲冑もない)儚い虫だった。逃すと、畳の間にするっと入ってしまう。
 2階でコーヒーをこぼすと1階にぽたぽた落ちてくるようなボロ貸家に引っ越したら、確かに同じ虫なのだが3倍から5倍ぐらいの大きさのが出没した。たぶん、ボロ屋だから餌の木くずとかがたくさんあって栄養状態が良かったのだろう。それだけ大きいとディテールまでくっきり見えるのでけっこうグロテスクだった。お尻側には触覚みたいのが3本あるのもわかった(これもゴキブリと同じ。たぶん原始的な虫の形なのだろう)。でもそれだけ大きくても儚いのに違いはなく、ティッシュをもってえいっと叩くと儚く銀色の液体と粉になった。
 虫は大嫌いでゴキブリなど見つけたら眠れないほど恐ろしいのだが(だって同じ部屋にアレがいると思うと…)なぜかこの儚い虫はそれほど気にならず、見つけたら叩くが逃がしても「仕方ない」と思うことができた。それにボロ貸家は隙間だらけで天井に鼠の死体が何体かあるくらいだから(まず間違いない。玄関で一時死臭騒ぎがあった。私の部屋の天井にも不気味なあぶら染みがあった)気にしても仕方がなかった。
 今の部屋に引っ越して1年、今日ここに来て初めてあの虫を見た。もちろん貸家で見たのよりずっと小さい。素手で叩くとやっぱり銀色と灰色に儚く潰れた。今まで「畳に住んでる虫」としか認識してなかったけど、初めてこの虫は何なのか知りたくなってネットで調べた。あっさり、「紙魚」だとわかった。紙魚。あれがあの有名な紙魚だったのか…。
 紙魚は本の糊を食って生きてるとかいうが、実際は本を食うのはほとんど別のもっと小さな虫で、紙魚は畳の裏や段ボールに(もちろん古本にもいるが)生息しているらしい。英語ではsilver fishとかsilver tailと言うらしい。言われてみれば銀色の体といい形といい、魚に似ていなくもない。英語でも日本語でも風流な名前をもらっている幸運な虫。