包茎文学@斎藤美奈子

 「清水研究員のアジアな日々」の清水研究員さまから、「アンタは確か村上春樹のことを『包茎文学』と言ってなかったか? あれはまさにピッタリやと思ったが」とメールをいただいた。ええっ、私がそんな下品なことを?言った気もするが覚えてない…(最近物忘れがひどくていかん)。
 調べてみたら、「包茎文学」の原典は斎藤美奈子だった。しかし村上春樹を評してではなかった。『趣味は読書。』の中で『朗読者』という本を評して言っていたのだった。で、私はたぶん、それを言うなら村上文学のほうがもっとぴったりくるだろう、というようなことをどっかに書いたのだと思う。売れてる作家の批判は現在の業界ではかなりやりにくいだろうから、きっと斎藤美奈子もハルキ本にも言いたいところをぐっとこらえたのでは?と私は勝手に思っているが。まあ、翻訳文学なら(遠いし)多少は好きなこと言っても…と思ったかどうか(勝手に思ってるだけです)。
 で、読み直してみた『朗読者』の書評が、もう爆笑ものだった。斎藤美奈子はえらい。このほど映画にもなったようだし、皆さん一度お読みになってみてください(書評のほうを)。
 斎藤美奈子の書評を読む限り、『朗読者』はちょっとハルキ本とかぶる部分があるように思える。もちろんハルキ本のように意味不明ではなく、すごく起承転結のはっきりした物語なのだけど。でも例えば、女の人が頼みもしないのに進んで性的なサービスをしてくれて主人公がウハウハだったり、女の人が都合よく死んでくれたり、全体にそこはかとなく童話的(大人の童話ってやつですか?)であったりすると…。ま、読んでないので断言はできないのですけど。
 (以下ネタバレあり。あ、もう遅いか)

『朗読者』って、ものすごく「インテリの男に都合がいい小説」なのですよ。(略)「ぼく」は終始一貫「いい思い」しかしていない。少年時代には頼みもしないのに性欲の処理をしてくれて、青年時代にはドラマチックな精神の葛藤を提供してくれて、最後に彼女が死んでやっかい払いができるなら、こんなにありがたい話はない。(略)だいたい、この「ぼく」ってやつがスカしたヤな野郎なのだ。自分はいつも安全圏にいて、つべこべ思索してるだけ。

 そしてこの本を絶賛したインテリのオジサンたちも名指しでしっかり茶化しつつ…。で、「包茎文学」とは「インテリの男性が好むインテリ男に都合のいい小説」「少年の心に知識の皮をかぶせて悶々とするぼくちゃん文学」のことだそうです。
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 同じ『趣味は読書。』の中に『海辺のカフカ』の書評もあった。これが書かれたのが『海辺のカフカ』がベストセラーになった頃だったらしく、そのことについてこう書かれている。「いまや押しも押されもせぬ国民的作家であり、世界中で翻訳されて日本人でもっともノーベル文学賞に近い作家とさえいわれる村上春樹なのだから、当然といえば当然かもしれないが、こうもみごとに結果を出されると、読者は素直なのだなあと思わざるを得ない」見事に今と変わってないですね。