村上春樹のスピーチ

 世の中には2種類の人間がいると昔から思っていた。村上春樹が好きな人間と嫌いな人間。これは実にはっきりと分かれるので(村上春樹を知らない人間、というのはこの際置いておいて)私は昔からひとつのバロメーターにしていた。私は後者のほうで、あの文章読むとさぶいぼ立つ(関西弁かな?)のだけれど、どうもかなりの少数派で、特に男性で村上春樹好きは非常に多い。私のまわりにもいっぱいいる。村上春樹の良さがさっぱり理解できない私はいつもどこがいいのか聞くのだけど、いまだにわからないでいる。きっと日本人の心情に合うのだ、と長い間思ってきたが、ところが今では世界中で大人気で本当にノーベル賞を取りそうな勢いである。もちろん韓国でも大人気。

 斎藤美奈子文芸時評でおちょくっていたエルサレム賞でのスピーチ。これもようわからん内容で、高い壁とそこに投げつけられる卵があるなら、たとえ壁がどんなに正しく卵がどんなに間違っていても、私は卵の側に立つ…。壁はイスラエルに重ねられているはずだけれど、「どんなに正しく」っていうほどイスラエルが正しいとは、世界中であんまり思われていない中で、この例えって成り立つの? むしろ壁の方が批判されてるのにさ。ネットのあちこちで和訳されているスピーチ全文読んでも、どうもうやむやとすりかえがあるように思え、煙に巻くようで、まるで村上春樹の小説そのもの。壁は爆弾と言いながらすぐに壁はシステムだと結論づけ、そのあとすぐに自分の父親の死の話をする。イスラエルの批判をしているようで、結論は「システム批判」ですよ。システムに独り歩きさせてはいけません、って。壁はシステムかなあ。私にはイスラエルの「意志そのもの」に思えるけどなあ。しかし、殻をかぶっているというところはまさに村上春樹世界そのものだし、卵という例え自体は正しいのかもしれない。

 まあねえ、何にせよ、すべてはノーベル賞受賞のための布石にしか思えないんだよねえ…。