萩尾望都の『訪問者』再読

 古本屋で100円だったのと、一緒に『偽王』という好きな作品が入っていたので買った。『訪問者』は読んで泣かない人は人としてモグリだと昔から思ってた傑作。24年組、特に萩尾、大島弓子には(また別の意味で山岸涼子にも)、ある種の凶暴性があると思う。凶暴な詩情。

 マンガは集団的な芸術で、ある形がすぐに伝播して大きくなる性質があるけれど、この人たちについてはそれがあまり当てはまらない。これだけ有名な作家でありながら、大島弓子萩尾望都を受け継いだ(ましてや山岸涼子など)マンガ家は見当たらない(よしながふみにはちょっとあるかも知れないが)。その理由は「作家性」の問題もあるけれど、何より業界がそれを望まなかったからだと私は思っている。今のマンガの世界的隆盛はその選択が正しかったことを示しているけれど、文学マンガも、それはそれで細く長く、温存してほしかったな、とも思うのである。だって、これだけのもの、一時的なもので終わってしまうなんて惜しいもの。

 久しぶりに読み返してみると、オスカーのお父さんのダメ男っぷりがすごい。お母さんもひどい人だ。萩尾望都のマンガには親がダメで子供が悩んでいるものが多い気がする。