ミーハー、オタク、ヤンキー

 ナンシー関が「日本人の気質はミーハー、オタク、ヤンキーの3つに分類できる」と言っていたと、この間読んだ「ヤンキー文化論序説」という本に出ていた。数年前に韓国からのお客様を連れて祇園祭に行った時に見た群衆に衝撃を受け、ヤンキーこそが本来の、大多数の日本人、ヤンキーこそが日本の「村人」だ!と確信して以来、ヤンキーには遠巻きながらおおいに興味を持ってきた。オタクは語り尽くされている。が、ミーハーというのは盲点やった。さすがは慧眼ナンシー関。惜しい人を亡くした。「ミーハー」の一言で日本人の謎だったことの多くが腑に落ちたよ。

 最近はどこの大学もテレビに出ているような有名人を「教授」として迎えているようで、少子化で大学間の競争が、とか言ってるけど、要するにミーハーなんだなと思う。東大がそういうことほとんど率先してやってたくらいだから、競争とはあまり関係ないのではないかな。NHKハングル講座、昔は地味で良かったのに、小倉紀蔵が講師になってからチャラくて聞けなくなり、この人がまたNHKに大変好かれてるようで、他の番組(韓国ドラマ特集とか)にもよく出るようになり、気づいたら京大の先生になっていた。よくわからないが、テレビや他のメディアに出ることが学者の出世にとってプラスになる傾向が(まあ文系に限られるだろうけど)年々強くなっているように見える。これは宮ナントカの罪が大きいと思うが、最初からマスメディアに出てチヤホヤされたり可愛い女の子たちとウハウハしたいという目的を持って学者を目指す奴らが本当にいて、それが結構成功している例も知っている。そういう通俗な人間をむしろよしとする「本音大好き」な土壌がある(日本人が本音と建前を使い分けるというのは、バブル以降当てはまらなくなった。日本人は限りなく「ぶっちゃけ」が好きな人たちになった)。こんなにあからさまにミーハーでいいのかな?

 純文学の新人賞の応募には顔写真を付けてほしいと大手出版社は真剣に考えているらしい、とか、タレント本が異常に売れたり、日本が韓流スターのたいへんおいしい出稼ぎ場だったり、クイーンやチープトリックが最初に売れたのは日本からだったり、小泉人気で必要もない郵政民営化があっさり実現したり、なんかもう、頭にカーーッとミーハーの血が上るとなんも考えられん。そんな感じ?

 ちなみに私はヤンキーとギャルの区別がつきません。