『父 中原淳一』中原洲一

 去年、高英男というシャンソン歌手が亡くなり、聞いたことがない人だったんだけども、何でも中原淳一の愛人で最期を看取った人だという。中原の息子が書いた本にそのことが触れられているというので、読んでみた。中原淳一の絵にはぜんぜん興味がないけれど、この本はとても面白かった。一人の成功した芸術家(と息子は言っている)の姿と、一人の同性愛者(と名言はしていないが)の姿がどんなもんだったかというのが慎重に描かれていて、なかなか痛々しい。
 中原淳一の家庭環境、特に母親との関係は三島由紀夫とやや似通っているけれども、大きな違いは選んだ結婚相手の基準だろう。中原はそれはそれでわかりやすいのだが、宝塚の男役トップスター(宝塚では「アニキ」と呼ばれていたらしい)と一応の恋愛結婚をし、その後妻子を疎んで家庭を棄てている。本にはそのことで妻子が苦しんださまがしつこいくらいに描かれているけれど、それならなぜ離婚しなかったのかは全くの謎だ。お金はあったのだろうし、そんなに嫌なら別れたらいいのに…とつい思ってしまう。
 本にはなかなか強烈なエピソードも書かれている。著者が幼い頃、中原家に滞在していた女学生の寝室に中原淳一の側近(妻子持ち)が忍び込み、それを見つけた中原が「だから女はだめなんだ! 世の中すべてを汚し駄目にする!」と叫んだとか…。中原の激しい女性蔑視、しかし本人は女性そのものであったこと、描いたのは徹底的に性を禁止された少女像だけだったこと、などが息子の目からこまかく分析されている。
 晩年の、父親が高英男の別荘に滞在してから死ぬまでの描写、高英男とのやりとりは臨場感たっぷりでたいへんに生々しい。文字通り正妻の子供と愛人とのやりとりであり、しかも愛人が男とくるので、息子の苦悩は複雑である。高英男は息子の筆によるとなかなか陰険かつ愛情深い人間に描かれており、一方的にはなるまいとする著者の気持ちが伝わってくる。
 「オレはあれほど言ったんだ、帰ってきてくれと。それをなんだ。コケにしやがって。もう高氏と二人で勝手にすればいいだろう」「畜生、オレはオヤジの息子なんだぞ」と思い(言ってはいない)、姉は高氏と電話で口論して「もう父を帰して」と叫び、しかし《父の裸の下半身を正視できない姉に、父の本当の世話と看護が務まるわけが》ないと思い、10年以上にも渡って献身的に父親の介護をし続ける高氏に屈服し、葬式の挨拶で自分の体に流れる血を強調することでささやかな報復をする。
 中原洲一は抽象画家としてイスラエルに移住したのち、高英男より早くに亡くなっている。なんでイスラエル?かは謎。